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二部-リメンバー(14日)

各公演で異なる部分がありますので、14日昼公演に基づき記述します。
夜公演・16日公演で異なる部分は次のページにまとめます。

※思い出話については、48さんの協力も得つつ終演後に必死で(そりゃもう必死で)思い出しメモをとりましたが、なにぶん量が多いため「だいたいこんな話」という程度です。
もちろんのことこぼれ落ちているエピソードも多く、言い回しも異なります。

リメンバー

暗いままの舞台に、下手側から衣装替えした三ツ矢さんがご登場。
上は袖口や身体の前面にフリルのついたツルッとした生地の長袖シャツ、下は黒の長ズボン、黒い靴、という服装です。

『おやすみGood Night』

曲途中でほかお三方も出てこられます。
服装はシャツの色のみ違い、一部と同様、野島さんが黒・古川さんが青・古谷さんが白・三ツ矢さんが赤色です。

続いて古谷さんの『星座になりたい』。

野島さんから最低限の紹介だけがあります。

野島「三ツ矢雄二『おやすみGood Night』、古谷徹『星座になりたい』でした。次はこの曲です」

『マイ・ガール』

流れてくるイントロ。
次の『一気にLovepotion』とも、14日昼の部はまだ手拍子がありましたが、夜の部では減り(私も胸が詰まってできませんでした)、16日はほぼなかったように記憶しています。
会場からはすすり泣きも聞こえました。

曽我部さんの声が流れた瞬間に、内幕、というのか、舞台の前半分と後ろ半分を区切る幕が開かれ、全貌があらわになります。
白い布のかかった献花台があり、台を挟んで上手側に曽我部さん、下手側に鈴置さんのお写真が置かれているのが客席に見えます(白いイーゼルに立てかけるような形)。
天井のライトがまっすぐ下を向いて、暗い劇場で曽我部さんのお写真に光があたります。

14日昼の部、私は座席が上手側でしたので野島さんがよく見えました。
目元をぬぐうようにしていらしたのが印象深いです。
古川さんも泣いていらっしゃいました。(私が行った三公演とも。ファンの方から「全公演で」と伺いました)

『マイ・ガール』も『一気にLovepotion』も、メンバーのコーラス部分は、変わらず舞台で生のコーラス。

献花式

『マイ・ガール』が終わると、「ここで曽我部さんに献花をしたいと思います」。
ゲストの方々がスラップスティックのメンバーの分のお花も持って登場。
お花をメンバーに渡され、ゲストの方から先に献花。
三ツ矢さんは献花のあと、曽我部さんのお写真を抱きしめるようにされます。

曽我部さんについての思い出話

バナナフリッターズがハケられ、スラップスティックのメンバーは定位置に戻って、お一人ずつ曽我部さんの思い出話をされます。

古川さん

ガベの話はつらいな…。(古川さん、第一声が裏返りかけていて、泣いていらっしゃるんだなという感じで胸に迫るものでした。マイクに入るか入らないかの声)
台詞聞くとだめ(泣いてしまう)。
(曽我部さんはお芝居が好きで/二人でよく芝居の話をした/よく客演もしてくれたという話)

三ツ矢さん

曽我部さんが亡くなられた年が、今の自分と同い年で。早すぎますよね。
優しい人だった。いつも静かに笑っていて…優しい人だった。
自分はキーボードを弾いたことがなかったのに、一度も怒らず、一度も叱らずに、「いいよいいよできるよ」って励ましてくれた。
楽しいことが好きで、派手なことが好きで、だから今回派手な衣装にしました。
(衣装について、古谷さんから「GSっぽい」という発言あり)

古谷さん

学生時代にバンドをやっていたのが僕と曽我部さんだけで/音楽の話をよくしていた/音楽が好きな人だった。
僕はバンド時代はドラムじゃなかったけど、ギターやベースは他にできる人がいるから&僕の実家に音楽できるスペースがあったから、ドラムを叩いていたこともあって、僕はドラムになった。
曽我部さんとは色々な話をしたが、お酒を飲んでこそできる話というのもある。
野島さんとかがうらやましかった。僕もお酒を飲んで、酔っぱらって曽我部さんと腹を割って話をしたかった。
やっと今大人になった。曽我部さんとお酒を飲みたかった。

野島さん

徹が今言ったように、僕は彼とはよく酒を飲みました。
(お酒が入ると演技の話などで双方ヒートアップすることもあったが、翌日には持ち越さなかったという話)
(翌日会ったときには「おう」「よう」という感じでまったく引きずらない。この件について、三ツ矢さんから「兄弟(喧嘩)みたいでした」という話あり)

『一気にLovepotion』

曽我部さんについての思い出話が終わり…。

古谷「僕らはもう一人かけがえのない仲間を喪いました」

鈴置さんの曲を紹介。「作詞・作曲は曽我部さん」だとおっしゃったのは古谷さん。
ここで、三ツ矢さんが「僕は当時のレコーディングには参加していないのでいったんハケさせていただきます。袖で一緒に歌っています」とハケられます。

天井のライトがまっすぐ下を向き、曽我部さんと鈴置さん、両方のお写真を照らします。

『一気にLovepotion』

曲が終わると、少し感想などを挟み、
三ツ矢「ここで曽我部さんのときと同じように……ただし鈴置さんは花よりお酒が好きだったので、献酒をしたいと思います」

献酒式

ゲストのお三方が酎ハイ(氷結)の缶を持って登場。
スラップスティックのメンバーに渡し、ゲスト→スラップスティックの順で献酒。

曽我部さんのときと同様、献酒ののち、三ツ矢さんは鈴置さんのお写真を抱きしめるようにされます。

その後、定位置に戻られ、お一人ずつ鈴置さんについての思い出話をされます。
曽我部さんのときにはしんみり、という感じでしたが、鈴置さんのときには、思い出話というか、暴露話になっている方が多くて(笑)

鈴置さんについての思い出話

関さん

鈴置さんはアフレコのスタジオに台本だけ持って現れて、書き込みも何もせずに収録をして、終わったらロビーに台本を置いて、「じゃ」って帰って行く。
古谷「珍しいよね。筆記用具持たない人だったもんね」
野島「[同意の言葉]」
三日連続で一緒に仕事をした際に、ずっと(三日とも)お酒を飲んだ。
一日目は皆で朝まで飲んで、翌日はカセットブックだったかCDだったかの仕事があって、アルコールが身体に残っていたが、鈴置さんがまた「飲みに行くぞ関」と言うので行った。
(遅い時間になって)皆が帰ってしまったので二人だけで飲んでいた。前日のアルコールが残っているので途中から記憶をなくしてしまった。
気が付いたら朝で、翌朝(三日目)は10時から洋画の仕事があったのだが、はっと気が付いたら見覚えのない部屋のベッドに寝ていて、「えっ?」と思って隣を向いたらここ(すぐそば、という仕草)に鈴置さんの顔があって。(客席どよめき・笑い)
どうも、鈴置さんが当時付き合っていた女性の部屋だったらしい。(客席、出演者大笑い)
10時から仕事があるので行かなきゃ、ってなったんですが、鈴置さんは「関、行ってこい。俺はあとから行くから」って僕を送り出して。いや、あなたもでしょ!?って(笑)
僕だけスタジオに行って、10時になった。鈴置さんは出番が後のほうだったから(まだ来ていなくても大丈夫だった)。
10時半くらいになって、鈴置さんはまだ来ていなくて、そうしたらスタッフが、「鈴置さんからお電話です。関さんに」と来たの。「ええ俺に!?」と電話に出たら「先始めといてくれ。遅れていくから監督に言っといてくれ」って言われて。
「ええ俺が!?」って。マネージャーでもないのに、監督に(腰低く・舞台上で再現)「すいません、鈴置さんなんですけど、なんかちょっと体調悪いみたいで、あっ、ちょっと都合悪いだったかなっ? 遅れるって」と伝えた。で、鈴置さんは後から悠々と来た(笑)
その仕事が終わったら、鈴置さんは「おい関、飲みに行くぞ」って(笑)
その後しばらくアルコールは見るのも嫌になりました。

日高さん

鈴置さんが劇団の芝居を観に来てくださって。
あとで楽屋にいらっしゃって、すごくにこにこして「ノン子が芝居やってくれてうれしい。ありがとう」って握手したんです。
すごくびっくりした。観にきてくださってありがとうってこっちが言わなきゃならないのに、それを、芝居やってくれてありがとうって言われて……すごく心に残っています。
(古川さんから「芝居が好きなやつだった」との話あり)

山寺さん

鈴置さんとは事務所が一緒で、かわいがってもらって大好きだった先輩です。
『煙が目にしみる』という芝居で、鈴置さんは白装束を着られていて……鈴置さんも内海さんも亡くなられてしまって。
関くんの話ともかぶりますが、鈴置さんは読み合わせのときに台本に書き込みをしない方で。
読み合わせに遅れていらっしゃらなかったとき、若手が鈴置さんの分の台本に読み合わせのチェックを入れていて、渡したんです。
そうしたらたまたまチェックが間違っていて、鈴置さんが「何だよこれじゃうかうか遅刻もできねーな」って言って。(客席笑う)
いや僕らの業界で遅刻はほんとはありえないんだけど、でも鈴置さんが言うとみんな和んで笑うっていう、そういう不思議な魅力を持った人でした。

古川さん

鈴置くん、昔はヒロくんって呼んでいました。
芝居が好きなやつだった。
煙が目にしみるって名作があるんだけど、劇団の芝居の稽古のときはだいたい遅れてきて、そのとき若手の女の子に注意しておくの。
半径1メートル以内に近づくと妊娠させられるから(気をつけなさい)って。

三ツ矢さん

僕は欠かさず鈴置さんのお芝居を観に行っていました。
一回、東京で観られなくて北海道まで追っかけてったことがあるんです。
そうしたらちょうどそれが全国ツアーの千秋楽で、打ち上げのあと鈴置さんの泊まっているホテルの部屋で皆でまた飲もうって話になって、あの備え付けの小さい冷蔵庫、あれの扉を開けたら氷結がずらりとあったんです。氷結ばっかり。ほんとに好きなんだなって。
鈴置さんとはBLも一緒にやったことあるしね。 (「鼓ヶ淵」(鈴置さん/三ツ矢さん)。三ツ矢さんは脚本も手掛けられた。ちなみにこれが初BL(JUNE)音声化作品(1988年カセットJUNEより発売))
今度天国と地上でBLやろうね。

古谷さん

すごく色々な作品で一緒にさせてもらいました。ガンダムとかDBとか。
DB(の収録)のあとビリヤードに行って。
僕は自分のキューを持っているくらいの腕前。だからうまいんです。(客席笑い)
鈴置さんはビリヤードで負けてすごく悔しがる。
野島「負けず嫌いだったよね」
負けず嫌いだった。
鈴置さんってすごく運動ができて、テニスもうまいし野球もうまいし、(ここで舞台上のメンバーを見て)球技全般うまかったよね。(頷くメンバー)
野島「ボーリングもうまかった」
僕が唯一勝てたのが、ビリヤード。
だからまた行こうって誘う(笑)
僕にとってはアニキみたいな人で、頼りがいのある人でした。

野島さん

同じ事務所 (俳協。鈴置さんはのちに賢プロダクションへ、野島さんはシグマ・セブンへ移籍)だった。あいつは俺の舎弟で。
「おい、舎弟」って言ったら「はい」って来る。
あと、ここでは言えない話もいっぱいある。

献杯

思い出話のあと、野島さんがすっと台に近付いて、ご自分の立ち位置に戻られてからそれを開けて飲んじゃいます。(客席から笑いがもれる)
先に周りから「何で(種類を)選ぶの(笑)」「自分が飲むんじゃないのに」と言われていらっしゃって、これは野島さんいわく、「献杯」とのこと。
ところが一口目を飲む際にこぼしてしまって(笑)、メンバーに笑われて。
古谷「飲むのはいいけどこぼすなよー(笑)」
床にこぼれたお酒は、さっと日高さんがしゃがんで拭かれて、(立ち位置が近かったこともあり)古谷さんも拭いていらっしゃいました。
すごい、これは他では絶対に見られない光景に違いない(笑)

古谷「雄二との活動は4年半で、実は鈴置さんも4年半だったんです。雄二のほうがレコードを出したりして活動は濃かったけど、期間は同じくらいでした」

三ツ矢さんが「スラップスティックは『ファミリー』」であるとおっしゃっていたことが心に残っています。